アイアムアヒーローの振り返りと考察(第1集〜第8集)
これまで『アイアムアヒーロー』という漫画を単なるゾンビホラーとして侮っていた読者を超スピードで見捨てているこの作品ですが、これまでの話を読み返していくと、現在に至る前兆が随所に散りばめられていた事に気づきます。
もちろんネタバレなので、コミックス派の人・映画の予習でこれからコミックスを読み進めていく人は閲覧注意です。
ではいきます。
〈第1集〉
●金髪 × ショート
英雄と付き合う前の徹子は誰かさんと同じ髪型でした。
〈第2集〉
●沖縄旅行のCM(第18話)
苫米地の推測していた「南」というキーワードを示唆していたのでしょうか。
●「一般の社会人、とりわけ高学歴の連中は感染のリスクが高いはず。やつらは社交的だからな。異業種交流会やセレブ限定お見合いパーティー、絶対的に出会いが多い。俺達のように、仕事場でカンヅメ休みはひきこもりとは違う。」
「感染につぐ感染、上流階級、一般人、すぐ群れるDQNども…こいつらは滅ぶ。残るのは自活できるひきこもりだ。」(第20話)
「リア充とはほど遠い人生」を送ることが半感染の条件だとした場合、この時点でZQNと半感染者の立場の違いが明確になっていたわけです。
ある意味、三谷は壮大なネタバレ厨だった事がわかります。
また、非リア充がリア充をボコボコに叩きのめすのも三谷が元祖です。
〈第3集〉
「たったひとりだ。」(第30話)
ヒーローは孤独、と言えば聞こえがいいですが、この作品においては「どうして(他人には見えない)魑魅魍魎が見えてしまうのか」「どうしてZQNはひとつになっていくのに英雄は無事なのか」という理由に関連してくる言葉です。
〈第4集〉
「…ど、どーしよう? と 共喰いしてるぞ。」(第39話)
「周囲のZQNを操り味方にし、お互いに排除させ、敵対していたZQN同士を融合させる」というのが英雄の能力だと仮定した場合、共喰いの時点で沙衣=敵ではなく味方となっていたので、英雄と比呂美を真っ先に襲わなかったのではないでしょうか。
そのため、あのまま撃ち殺さなければ、沙衣は感染した他の友人たちと融合の準備に取り掛かっていた可能性があります。
〈第5集〉
●道頓堀の悪夢(第55話)
とつぜん通行人を襲い始めた男。そこへ警官が詰め寄りますが、あえなく返り討ち。
腕に噛み付いた男を振り払うために警官は銃を突きつけますが、あろうことに銃口は自らのこめかみへ……というシーンです。
前述した英雄の能力が強すぎて関西まで届いていた場合、あの警官は銃口を突きつけた時点でZQN、ひいてはZQN集合体になるように仕向けられたのかもしれません。
(警官に噛み付いたZQNが、毅のような影響力を持っていたのなら話は別ですが…)
〈第6集〉
●比呂美の眼球運動(第55話)
ZQN集合体が目を動かす際、「ギョロギョロ」という擬音が付きます。
そして集合体の目というのは、中に閉じ込められた人々の意識が作り出した、集合体の視神経を通じて外が見える潜望鏡のようなものだった、と後々判明します。
しかし、この時の比呂美は目を動かしても「ギョロギョロ」とはなっていません。
感染収束後の比呂美に「フケ」と何度も耳打ちされた記憶が残っていたのは、この「人間がZQNになるかならないか」の半感染段階を経た名残である、という裏付けがこの部分に見受けられます。
●「くるり」(第61話)
比呂美のお気に入りということで『くるり』が度々出てきます。
来栖のモチーフが峯田和伸(元・銀杏BOYZ)なのもあり、ロキノン系の流れだったのかなとスルーしていたのですが、一応言及してみます。
ZQNは「死んでいるようで実は死んでいない」という矛盾を抱えています。
ゾンビのように腐った肉体の中で、生と死がくるくる渦を巻いている。
みんな死んでいるのに平然と街を歩いている。
太陽がのぼったら動き出し、太陽が沈んだら大人しくなる。
生前の習慣をなぞりながら、同じような場所を毎日ウロウロする。
こういった堂々巡りをひっくるめて“くるり”なんじゃないかと。
一方「その堂々巡りはナンセンスである」と看破する発言が後々登場するのですが、これはまだ先の話。
つまり、
「アイアムアヒーロー=よくあるゾンビ漫画」というレッテル貼りだったり、
「ゾンビ作品読もうっと…⇒どうせこれもよくあるゾンビパニックものだろ…⇒読み終わったから他のゾンビ作品読もうっと…」というファンが抱く興味の、大して代わり映えのない移り変わりだったりのような、
アイアムアヒーロー読者が当初に描いていたZQN観を象徴したものも“くるり”であったのだと考えられます。強いていえばですけども。
●「ちんちん」(第67話)
居住地から出た住人が帰還した後、感染していないかどうかを調べる手段が『しりとり』です。
簡単かつ正確な方法であるため、日本各地で重宝されています。
その恩恵か、このシーンは2ページまるまる使った謎の見開き。
感染中とはいえ比呂美が恥じらっているところを見ると、「小田との因縁はここから始まったのかもな」と今では思います。
〈第7集〉
●“サンゴ”という男(第69話)
S・A・N・G・Oでおなじみサンゴですが、実は彼、クルス寸前まで行ってたんじゃないでしょうか。
「引きこもり」はクリアしてますし、武器は刃物(包丁)ですし。
ただ「愛する者を手にかけていない」あたりをクリアしていないので、髪の毛生え放題の来栖や崇たちとはグレードが若干下がり、黒髪ロン毛とはいえ前髪が残念だったのかもな、というわけです。
●「俺が来てここのパワーバランスがくずれちゃったらしい…」(第71話)
エアガンのサンゴとボウガンの伊浦が仕切っていた御殿場アウトレットに紛れ込んだ、ショットガンの英雄。
英雄の銃にビビるサンゴや伊浦たちはどう立ち回るのかが、この御殿場編の面白いところでもあります。
ただし、もう少し話を読み進めてみると「ここ」だけで済まされない事態がもうリアルタイムで起こっていたことに何となく気づけるのが、この漫画の本当の面白さなのです。
〈第8集〉
●「コントロールできればあの強力な力もコンニチハ」(第88話)
伊浦が人間でなくなる直前の言葉。
「比呂美を利用すればこの御殿場を支配できる」とでも言いたげな発言に見えますが、「半感染者になれば、来栖やシャベル男のようなZQN掌握術が手に入る」というのを知ってしまったが故の「ついにわかったんだよ 奴らZQNが何なのか」だったと考えるほうが自然です。
●御殿場唯一の生存者(第93話)
荒木が身を挺してZQNを撃退し、テントに取り残された少年。
夕陽を背に立ちのぼる煙。それを見つめる彼の手には刃物が……
生きることを望んだ少年を見て、覚悟を決めた荒木の最期には涙が止まりませんでした。
涙腺がふたたび決壊する前に考察しておくと、この時点で「少年が非リア充である」「母親が森の中を彷徨っている原因は少年自らの手にあった」場合、“条件”はひと通り揃ったことになります。
「自ら生きるために荒木を犠牲にした」ことも後押しとなるでしょう。周りを見渡せば、“巣”の材料だって豊富にあります。荒木ェ……
以上、英雄たちが御殿場を脱出した第8集までの考察を終わります。
第9集以降にも触れていきますので少々お時間ください。